日日是好日 -3ページ目

日日是好日

毎日を、「いい日」にしたい。

冷たい風の分子の中に、春がぐんぐんくいこんでいってる。
ぎゅっと固まっていた空気が、少しずつゆるんでいく。

そういうかんじが、いちばん春を感じるのかも。
そして今日は、少なくとも朝と夜は、そんな風でした。

友達に英語を教えて帰宅。

おもしろいなーと思ってもらえれば、それでいい。
私がそう思ったみたいに。


もう3月なかば。
本当に早い。。

あと半月もすれば、ずっと年下の後輩がくる。

頼りないけど、頼ってもらえるように。
なんでもきいてね、をほんとの気持ちで言いたい。

わたしは、仕事的にはほかの人のように最前線で戦うことはないけど
あの人がいるから安心、みたいになれたらいいな。。

不安なときのやさしさは、なんていうか
枯渇しそうな心に降る、きれいなしずくのような
文字通り、生き返るようなかんじで

要領のよくない私は、それを何度も何度も感じてきたから
少しでも、役に立てれば。

てんぱり症の先輩になることは間違いないけども。。

挫折の見本としてでもいい。
ほっとしてもらいたい。

何より私が、それを求めていたから。


四季がじゅんぐり一周して。
ようやく、私の足は地についてきた気がします。

これから、と思う。何もかも。

夢を見て、一生懸命あきらめて
新しい土地で挫折して
ようやく、ようやく、再生してきたような気がする。

気がつけば、まわりには大切な人がいっぱいいて。

遠回りしてきた私にとっては、感慨深いのです。。

季節が一周して
わたしは元気で
いい人が、まわりにたくさんいる。

それが、奇跡のように思います。


ホワイトデーあさって。。
チョコ会社の陰謀であっても、その日に感謝してる人はいっぱいいると思う。

おくればせながら、わたしも感謝。

チョコもクッキーも、なくてもいい。
会う口実がほしいだけなのです。


前にどっかで

ごはんに行こうとか、遊びに行こうとかいろんな言い方をするけど
結局はただ「会いたいです」と言ってるんだよねえ

というような文章を読んで、はっとした。

そうなんだよなぁ。。

会いたい。
それだけ言うのは恥ずかしくて、いろんな言葉でまわりを飾る。
ほんとの気持ちが、まるみえにならないように。


これからどんな風になっても。
後悔はしたくないな。。

今の自分にできる最善の選択だったと、よく覚えておこう。


家の前の桜並木には、つぼみがたくさんついています。

わたしには想像もできないような神業で、あの中から花を咲かせる。
茶色いものから、あんなにきれいなうすいうすいピンクが現れる。
考えれば考えるほど、ため息がでる。

大切な人みんなに見てほしいと思うくらい、すてきな光景です。

とりあえず両親を呼ぶ。
友達にも見てもらいたい。
好きな人にも、できれば見てもらいたいなあ。。

雪のように桜が降るのです。
あぁ、だから桜吹雪っていうんだな。。

そんなことを考えてわくわくする
この季節が、やっぱりほんとの春だ。
昨日は、専門のときの友達と会いました。

何ヶ月かぶりに会って友達の家に行ったら
もう、全部あのころと同じだった。

遅れてくる人。ふつうに寝る人。

ゆるい!

でもそのゆるさが懐かしくて、妙に落ち着きました。


仲間の中では、結婚した子もいるし、実家に帰ってしまった子もいる。
あのころの同級生とつきあってる子がいたり。

いろんなことは、一年前とずいぶん変わりました。

そういう年頃なのかもしれない。

それがちょっと寂しくなったけど
まわりのことが変わっても、変わらない温度があるっていいなぁと思った。

そして、変わらずわたしの誕生日をお祝いしてくれました。

友達は宝物だと、改めて思う。


今日は寒くて小雨が降ってるから、都会には行かない。

ジャムづくり日和!!

と勝手に思い込んで、いちごを買い込みました。

キッチンスケールは、自分へのプレゼント。

昨日もらってきたホタテがあるので、夜ごはんはフライ。
一人暮らしはじめて初のフライ!

誕生日だもんねー。


友達と会わなくても、好きな人が海の向こうでも
十分楽しく過ごせるよ!

と、自分に証明しているみたいな日曜日。


こうして元気で、いろんな人の助けを借りながら
暮らせていることに感謝。

これは、当たり前の向こう岸での出来事。

一年前、想像もしてなかった暮らし。
そしてそれは、悪いものではない。

それだけで、十分。
雨が降って、久しぶりにバスで帰宅。

朝と夜、並木の下を歩くのが日課になっていたから少し寂しい。

朝は、眠たい体を起こす時間。
夜は、その日にあったことを整理する時間。

そんな風に、行きも帰りも意味を持ち始めています。

途中には小学校があって、朝から全力で遊ぶ子どもたちから元気をもらったり。
横切る猫を見てにやにやしたり。
こんな家に住みたいなぁ、と妄想したり。

ゆっくり歩きながら、わりと忙しくしています。

自分の感覚と体が一緒くたになっていくようで楽しい。

アメリカにいたときから、歩くのが好きになった気がします。


そういえば

来年、父とアメリカ旅行に行く予定が立ち始めていて

何をさておいても実現したいと思ってます。

父はジャズが好きだから、南の方へ。
ニューヨークにも寄りながら、音楽を楽しむ旅にしたい。

ブルーノート行っちゃうか。


その頃、私はどうしてるかなぁ。

異動になってるかも。
好きな人とは、うまくいくかなぁ。

一人暮らしで磨きがかかってしまった妄想力。

まぁ
じたばたしてもどうにもならない。

できることをやりながら、生きていこう。


好きな人は今、何千キロか向こう。

私は寂しい

けど

彼は、大変な環境でがんばってる。

だから、私も前を向かなくては。

笑いながら、暮らさなきゃ。


会いたい人がいて
多分、私にも会いたいとちょっとは思ってくれている

それは、信じられないくらい幸せなこと。

それを感じながら、日々を送ります。
私の部屋には、ものすごく強い植物がいます。

お花屋さんで見かけて、実と葉っぱしかない個性的なかんじが気に入って
家につれて帰ったのは12月中旬。

それから、葉は少しずつ枯れていったのですが
新しい枝?がぐんぐんのびてくる。
おまけに根っこが生えてくる。

この子は、生きてる。

そう思うと捨てるに捨てられず。

でも先の方は枯れてるのでちょっとやなかんじで
だから、新しく出てきていた芽のところをつんで
そいつをコップにいれて、ずっと一緒にいました。

気がつけばまた実がなって、ほんとに強い!
と驚愕だったけど

昨日、さらに驚くことが。


花が咲いた!!!!


12月にうちに来たとき、やつは実をいくつもつけていました。
でも、その中のひとつも花を咲かせず枯れていきました。

てか、花が咲くって知らなかった。

なにげなく見やると、新しい実はきれいなきれいな黄色の花になっていて
私は、驚いて感動して、何が何やらわからなくなり
なぜか、泣けました。

意味わからない。

けど、2ヶ月以上一緒にいて
そいつがびっくりするような花を咲かせて
よくわかんないけど、相当感動しました。

もう、名前つけよっかな。


命ってすごいなぁ。

なんでもない実の中に、きれいな黄色を隠し持ってた。

計らい、としか言いようのないことばかり。
そしてこの感覚は、宗教とか科学とか、いろんなとこにつながってる。

まだまだ、知りたいことも触れたいこともいっぱいだ。


今日は久しぶりに、静かな離れのようなところで仕事ができて

私はまず、大きく深呼吸しました。

人がいないって、落ち着く。。
ねくら全開。

しんとした場所で、自分のペースで作業ができる。
それがいちばんいい。

黙々と手を動かしていたらもうあっという間に夕方。


あー、ねむたい。

早くねよう。
どこかに出かけようかと思っていたけど、なんとなく億劫で
掃除をして、お皿を洗って、お昼にパスタをつくり
本を読んで、少し眠って。
ゆっくりドライカレーを作って、もう夜。

料理って、テンションあがる。

バターでたまねぎを炒めるときのにおい。
にんにくとしょうがを入れるとそれが深くなったり。
あたたかいごはんをバターライスにするときにふんわりしたにおいも。

胸いっぱいに吸い込みたくなるようないい香り。

洋裁もそうだけど、料理も
わたしにとっては、「女らしく」とかいうことではなく
ただただ、おもしろいもの。

手を動かすうちに自分がいなくなって
布や糸 フライパンや油
そういうものと、まざりあうような。

その感覚も、とてもいい。


しばらく会えないなぁ、とやっぱり少し落ち込んで
でも、ドライカレーがおいしくてちょっと元気になりました。

今までは、何週間もそばにいなくてもそれが普通だったのに
本当に、わかりやすい。

今となっては、寂しいし心配。。

考えないようにしてるけど。

次に会ったとき、笑って話せることがたくさんあるように。
自分の日々を、楽しくすごさなきゃ。

そう思ってちょっと目を付けてるのが、ジャムづくり。

おもしろそう。。
テンションあがりそう。。

そういうことを、もっと小さいことでもいいから見つけて
こんな楽しいことがあったんです、と話したい。

依存はしたくない。

いっこの完結した人間として、関わらないと
多分、ほんとに幸せにはなれない。


何千キロ離れていても、多分どっかでつながってる。気がする。

その感覚を信じよう。


私は私の日々を、もっといいものにする。
それだけを考えていれば、勝手に月日は経つのだし。


そして、なんだかんだいって
これは、120%幸せな悩み。。

こんな風にぐるぐるするのは、幸せです。

さー、お風呂はいろ!!
今日は、春でした。

本当にあたたかくて、行きも帰りも歩いて仕事に行って
どちらも、ほんとーーに幸せな気分。

春って、いいなぁーー。

並木の下を歩きながら、何度も何度も深呼吸しました。
春の空気を体中にいれたかんじ。

本当にいいところに住んでる、と改めて思う。

並木が目の前なんて。
それが全部桜なんて。

春を楽しみなさいと言われているような場所。


ここに越してきて、場所の気ってあるのかなと思うようになりました。

とてもとても、いい気が流れている 気がする。。

どんなに嫌なことがあっても、部屋に帰れば落ち着く。
木と川を見るだけで、体の力が少し抜ける。

大家さんがとてもいい方で、ガーデニングもすごく一生懸命やっているから
彼らのいい気が、この場所を強くしてるのかも。

変な話、実家にいたときよりもいいかんじがするのです。

実家は親もいるしずっと住んでたから落ち着く。
けど。

なんなんだろう。
実家にはない、いい流れがここにはあります。


もうすぐ三月。
その次は四月。

あれから一年。。

いろーーんなつらいことがあり
本当にみっともなくてみじめな期間を過ごし
自問自答を繰り返しまくってきた一年だけど

大きな山は乗り越えた。きっと。

そのことに、心の底からほっとします。

出世とかは、できない。
けど、もうそんなことはどうでもいい。

自分のペースを崩さず、無理せずにゆっくり暮らしていきたい。
その方が私にとっては大事だということに気づいた一年でもありました。

みっともないところばかり見せてきて
ぐっちゃぐちゃのめちゃくちゃだったのに
それも全部見てきた人と、仲良くなれそうだということが
ほんとに、感慨深いです。

服か、語学か。

高校生のときから決められなくて、葛藤しつづけて
やっとの思いで断ち切って、前を向いたときには人よりずいぶん年を取っていました。

遠回りしたなぁ。
そう思ってきたけど。

ここで、その人に出会えたことで、もう何もかもをゆるせる気がする。
うまく立ち回れなかった自分を、まるごと認められる気がします。

いびつな凸凹がようやくなめされて
大きなまるになった。 ような。

意味がなかったと切り捨ててきたすべてに意味があったんだと、少し本気で思えたり。 とか。


海外で過ごす時間が、とても多い人なので
日本にいる私は、安らぎでいられればいいなと、思います。

正直、寂しいけども

そのためにも、自分の日々を楽しんで、楽しむ努力をして
いつも明るくいられるように。

前向きにいかないと。
とにかく春なんだし!
今日は、英語を教える日でした。
おしゃべりしてごはん食べて、ちょっと英語をするだけだけど。

その若い友達は
しばらくは、結婚せずに仕事をがんばりたい と言っていて

そうかぁ、と思いながら
仕事にほとんど未練のない年上の私は、知らぬ間に遠くまで来た、と思いました。

やっぱり、多分向いてない。働くこと自体。

細かいとこまで気がいくのはいいけどその分疲れちゃうし
なにより、いくらもうけたとかいう話に興味が持てない。。

売ったお金で生活してる。それはわかってるけど。
どうしても、のめりこむことができない。

自分で思っていた以上に、男っぽさがない。のだと思う。

アグレッシブさが、ゼロに近い。

守ったり、育んだりすることで一番安らぐ。
だから、激しく男らしい仕事をして、ぽっきり折れたわけですけども。


自分らしさに、もっと近づける気がする。
それがどういう形なのかははっきりわからないけど。

こないだ、「ジュリーアンドジュリア」という映画をみました。

私なんて平凡、なんの取り柄もないし。
と少しやさぐれていた、ジュリー。

明るく料理をしていたジュリアの本に出会って、少しずつ変わっていく。
というお話。

心の底から、元気がわいてくるいい映画でした。

自分らしく生きてみたい。
その気持ちに正直に、まっすぐに葛藤とぶつかっていった二人。

生きた時代は違うけど、その姿勢はそっくりでした。


多分、やりようはある。

何だって、どんな風にでもなる。

やり方一つなのかもしれない。


自分らしさ、のへんりんを見つけるために

陶芸をしたり、編み物をしたり、本を読んだり。

見つけたかけらを寄せ集めたら、何かの形になるかもしれない。
それを楽しみに。

今はゆっくり、やってみよう。


人生はおもしろいなぁ。

一年前の自分が、想像もしなかった場所で
想像もできなかったような人と出会って
行ったことのなかった場所で一緒に笑っていて

なんていうか、一寸先は闇、ならぬ 一寸先は光。

というか、日向と日陰をじゅんばんにわたっているのかもしれない。


笑ってなよ、と言ってくれて

私は恥ずかしくてうまく表現できなかったけど
本当に、本当にうれしかった。

笑ってればいい。

何があるかなんてわからない。

だからこそ、笑ってなきゃ。

笑顔は、強さです。
生命力の発現です。

笑ってよう。
明日もあさっても。
人を好きだということだけで、こんなに心があたたまるなんて。
私は今まで知らなかった気がする。

初めて本当のプライベートで会って
映画をみて
ごはんを食べていろんな話をして

そういうことって、こんなに楽しいものなんだ。

なんか、ほんとに
ほんとーに、優しくて
びっくりするくらいです。

優しいというか 愛が深い。

それを、どんどんずんずん感じる。

優しいでしょ、みたいなとこも一切ないし
一緒にいると、自分がとても幼いような気持ちになります。

大変な仕事をしてきたからそうなんだろうなって思うけど
それすら、「誰にでもできる」と全然偉ぶらなくて
なんていうか、もうわたしはどうすればいいのか。。

愛があって、強い。
そういう人間になりたいと思いながら生きてきたけど
彼はすでに、そういう人間なのかもしれない。


つきあってもないのに
なんか、ずーっと手をつないでいるような気持ちになる。

なんでだろう。
変な感覚。

近くにいても、遠くにいても。
手をつないでいるような気がする。


こういったことは、心のよりどころなんだと思いました。

どんなに大変なことがあっても
雨と風がざんざんでへとへとになっても
帰って、ぐっすり眠れるあったかい巣箱がある。みたいな

その存在を思い出すだけで、少し楽に息ができるような

ほれたはれた、の先にあるのはぬくもりなんだなと思います。


知り合ってからはけっこう長い時間がたっていて

だから、ほれたはれたピリオドはけっこう早くすぎる気がする。


思い出し笑いをこらえながら、朝の明るい道を歩いて

これからあったかくなるなぁと梅の花を見ながらうれしくなり

なんていうか

これが、幸せの正体なんだと思う。
多分、ぬくもりの四文字。

心がぬくぬくして、すぐにまどろむ。


依存はしたくない。

好きなことは好きなこと。
それを曲げさせるようなことはしたくないし、自分の好きなことも守るべきなんだと思う。

ただ

つらいときも、やんなっちゃうときも
いつでもそこにある、あたたかい巣箱であればいいなと
思います。


これから何があっても、後悔しない。

それだけは言い聞かせて、ちょっとずつ前へ。
平日なのに洗濯機を二回まわして
ごはんをつくって食べて。

アロマをたいて、本を読んで。

こういう、「生活してる感」が好きです。

ゆえに、結婚して仕事やめても楽しそうだなぁと思う。

生活って、楽しいものなので。
どんどん広げていけるし。
料理とかも。

だれだれよりも上に!
とか
もっと大きく強く!
っていう仕事の世界は、やっぱり合ってないのかも。

そういうことが楽しくない。
生きるためにやってる感覚でしかなくて。

植物を育てたり、編み物をしたり
なんか、生きることに近づいて生活していきたいです。

衣食住のことが、やっぱり好きなんだよなぁ。


キャリアウーマンになる、と決めていた遠い日。
あの決意は、いったいなんの土台の上になされたのか。。

気がつけば、梅が咲いて喜ぶ大人になってた。


桜よりも梅の方が、目が覚めるような色の花を咲かせるから好き
と言っていた知人のことを思い出した。

本当に、記憶の中よりもさらに鮮やかな色で咲く。

わたしがじたばたしている間に一年は過ぎ
木の中でゆっくり育まれたつぼみがほころんで
あんなにきれいな花を咲かせる。

その大きさに、圧倒されます。

どんなことがあっても、こんなに寒い日々の中でも、きちんと咲く。

信じられないかもしれないけど、春は来るんだよ
と言われているような気がした。


ありがとう と ごめんね に
つつまれた生活なら。

わたしは何者でもかまわない。

社員でも、妻でも。

願うのは、やさしい日々だけです。
今日は、オフィシャル飲み会でした。
アルコールは一杯しか飲んでないけど。。
お酒は好きじゃない。気持ちがあんまり揺れて苦しい。

毎日、とても近くにいて
もちろん、二人きりのように話したりはしないけど
日々の生活の中で、人に対する優しさを感じて
この人は間違いないなぁと、そのたびに思います。

ごめんね、ありがとう。
ほんとにささいなことにも、丁寧にそう言ってくれる。

それだけのこと、だけど
人間性は、細部に現れるとわたしは思います。

帰り道、盛り上がるみなさんの会話をききながら笑って
そうしていたら、なんとなく、二人で歩くかんじになり
やっぱり、似ているのかなぁと思いました。

わー! となってる人たちをながめて、にっこりする。
そういうかんじ。

わたしのことを、いいものだと思ってくれているみたいで
それはとてもうれしいけど
わたしにも汚いところはあるし、少し複雑。

その人の心の中にいるような自分に、なりたいです。

次の約束は、全然切り出してくれないけど
寒い寒い帰り道で、心があったまりました。


今日は
近しい人の悪口を言い合っている人たちの姿を見て
とても残念でした。

それは、私が人の悪口を全然言わないとかそういうことではないけど

わたしにとって、その悪者扱いされている人は
孤立してつらかったとき、明るい笑顔に何度も助けられた人で
外側がどうであれ、こころねがとても澄んだ人で

だから、悲しかった。
悪口を言っていた人たちのいいところも知っているから、よけいつらかった。

わたしは、言いたくない。
少なくとも、身内の前で身内の悪口を言うのは絶対にいやだ。

だって、わたしたちは仲間なのです。
利害関係で結びついた寂しい関係かもしれないけど、共同体なのです。

悪く思い合って傷つけ合うなんて、ナンセンスだと思う。

むかし、同じようなことがあって
そのときの人たちとは、完全に縁が切れました。

わたしたちに必要なのは、食べ物と、着るものと、住むところと。
それから、愛です。

今日のことは心にしまって、自分の糧にしよう。


なんか。。
外見とか、センスとかじゃなく
本当の本当に、人の内面を好きになるようになったのって
年をとったなあと思う。

恋人というよりは、やっぱり家族として楽しくすごせるか、を考えてる。

慈しんで、敬う。
それが、私には一番大事です。

これは時間がかかるなぁー。

でも、もう全部ゆだねよう。

ゆっくりゆっくり。
少しずつ育てよう。