1歳10ヶ月。
記憶が始まるより前に、わたしはその「家」にいました。
ほかにも何人かの小さなこどもたちがいて
猫がいっぱいいて
小さい庭があった。
ほんとに断片的にしか、思い出せないのだけど。
3歳になるまでの間に、人間の情緒的な部分 いちばん大切な部分ができあがるのだときいたことがある。
その期間中、わたしは血のつながらない人の力を借りていたけど
今のわたしが、自分以外の誰かに対して優しくできたり思いやりをもてたりしてるとすれば
それは、その「他人」の人たちのおかげ な部分がけっこうあるような気がする。
小さいこどもたちは、放っておいたら文字通り死んでしまう。
生かしてくれる人がいたから、今の自分があるんだなと、改めて思います。
母は、その当時「働くことに精一杯だった」と言っていました。
それは、すごいと思う。
そんなに邁進できる仕事に巡り会えたことは、彼女の人生の大きな幸運だったんだろうなと。
小さいころは、まわりのみんなみたいにお母さんが家にいればいいのにと思ったこともあったけど。
今は、やりたいことを気がすむまでできたことが、ほんとによかったね、と思う。
そして、その選択を支えてくれたのが、たくさんの「他人」の大人たちだったんだと、思う。
その「家」では、毎日書簡のようにして文章のやりとりをしていたんだそうです。
毎日毎日。
そんな風にして、大事に大事にしてもらってたんだなと、ちょっとしみじみした。
これから、みんながそうやってたくさんの選択肢を持っていけたらいいと思う。
働くのもいい。家事だけするのもいい。両方することも、できるかもしれない。
そのどれを選択しても、みんなが幸せになれるような社会になっていけばいいなと思う。
それが本当の、「先進国」なんじゃないかなって、思ったりします。
命を大切にするってことは、人生を大切にするってことだ よ なー。
今日は、楽しいけど驚くほど疲れる仕事をして
席に戻った瞬間激しい眠気に教われたので、もうねます。
夏に、少し遠出をすることにしたのでちょっと浮かれ気味。
それまで、なるべくたくさん笑いながら、暮らしていきたい。