二ヶ月とすこし | 日日是好日

日日是好日

毎日を、「いい日」にしたい。

気が付けば、最後のエントリーから二ヶ月以上。

前はなんだかんだと言葉にしたくなったのだけど、
この二ヶ月と少しは、言葉にするのが難しかったのだと思う。

最近は、心と体のつながりの深さを改めて感じています。

心に圧力がかかることで体が誤作動を起こす、という症状がちがう形で複数でて
形はちがうけど、おんなじことなのだろうと思っています。

もともと、こわがりなこどもでした。

花火をこわがる。飛行機をこわがる。
少し心配されるほど、こわがりだったようです。

もちろん大きくなるにつれて克服できたことはたくさんあるけど
私の原型は、こわくて足がすくんでしまう、小さいこどもなのだと思います。

だけどそういう自分を変えたくて、ここ十年くらいは少しずつ無理を課してきました。

自分の背丈より少し背伸びする。
ちょっとつらいけど、そうすることでほんの1mmでも背が伸びたりする。

そうやって得てきたものは、ほんとうにたくさんあります。

だけど

そうするうちに損なっていったものも、あるのかもしれないと思います。


こわがりで、繊細で、人見知り。
基本のスペックが、子羊のような自分。

そのことを心のどっかでいけないことだと思い続けてしてきた背伸び。

だけど子羊は、もうやんなっちゃって、そこらで柔らかい草でも食べてのんびりしたい。
本気でそう思い始めたようです。


なんとか働きながらやってきたけど、ここに来て新たな症状がでて
それは、無理のきくものではありませんでした。

今でも、そういう子羊な自分が少し、いやです。

でも、そんな風に追いつめること、もうやめるときなんだと思います。

どんな人でも、基本的にはいい悪いはない。

明るい人も、おとなしい人も、強い人も、弱い人も、いいとか悪いとかじゃなく
みんな、大切な命です。

そしてそれは、私にも当てはまること。


今私に必要なのは自分を責めることじゃなく

子羊な自分を認め、ゆるし、愛していくことで
そこから、そんな自分と社会とのちょうどいい距離を探していくってこと。

子羊なわたしは、悪いものじゃない。
そこからすべてをスタートしていきたい。


昨日は恋人と街で買い物をしてごはんを食べました。

それだけで具合が悪くなって、そのことに、泣いてしまったのだけど
恋人は、だまって側にいてくれました。

いつまでかかるかわからないけど、ずっとサポートする
その言葉に、言葉では言い表せないほど救われています。


秋の虫の合唱が、夜中の三時にきこえています。

彼らが元気に自分たちの声を出してることに、なんだかほっとする。

虫は虫なりに、植物は植物なりに生きる。
それ以上でもそれ以下でもない。

私は私なりに、生きていこう。
こわがりなりに、生きていこう。

いつかは向き合わなければいけなかったことと対峙しているだけなのかもしれない。
自分の無理でつじつまを合わせてきた数え切れないことに。


そろそろ薬がきいてくれるかな。

ねむってみます。